中米コーヒー産地を巡る旅

 

 

その2 パナマ編

 

2012年1月20日(6日目)

  昨日につづきこの日も朝4時起きです。今日はグアテマラからパナマに移動します。みんな疲れはあると思いますが、元気に旅を続けています。一番元気なのは田口先生だとは全員一致した意見。午前7時前にはパナマに向かう飛行機に乗り込みました。約2時間でパナマシティ着。今日のうちに国内線でボケテに移動するので、2泊分の荷物を小さめのバッグに詰め、大きなトランクを市内のホテルに預け昼食に。今回通訳としてグアテマラから同行していただいているKanagyさんはパナマ在住の方。昼食場所に奥様(日本人)と高校生の息子さんも来られて一緒にランチを楽しみました。

 

  昼食後、パナマ運河を見渡せる小高い丘に案内してくれました。ここはあまり知られていスポットだそうです。ここから金融センターとしてめざましい発展を遂げるパナマの高層ビル群と、パナマ運河をはじめてこの目で見ることができました。

 

 上の写真手前に見える飛行場から国内線で約1時間でダビドへ。この空港で出迎えてくれたのは明日お邪魔するドンパチ農園のフランシスコ・セラシンさん。ここからさらに1時間近く車で移動し、ボケテという町にあるホテルに着きました。ちょうどボケテではフラワーフェスティバルが開催されている最中、たくさんの観光客が訪れているようで、結構遅くまで外がにぎやかでした。

 

1月21日(7日目)

  朝、フランシスコさんに迎えに来ていただき、ドンパチ農園の見学に向かいました。農園の入口でフランシスコさんのお父さんが出迎えてくれました。スペシャルティコーヒーの普及とともにゲイシャという品種が一躍脚光を浴びていますが、彼こそが1963年にパナマにゲイシャの苗木をもちこんだ「パナマ・ゲイシャの父」と呼ばれる方なのです。田口先生と同い年でもあり、お二人が堅い信頼関係で結ばれていることがよくわかる再会シーンでした。

 

こちらの農園ではじめてゲイシャの実がなっている木を見ました。

こんな立て札まで立てられていました(左) ゲイシャの木はこんな感じです(右)

 

  昼食後、「ベスト・オブ・パナマ」というコーヒーの審査会が行われた場所でこの農園で収穫された豆のカッピングを行い、そのあとドンパチ農園の精製工場に案内されました。ここでは腰の高さぐらいに張られた通気性のよいシート(アフリカンベッドと呼ばれています)の上で果肉のまま天日乾燥させるナチュラル方式の乾燥も行われていました。

 つぎつぎと興味をひく事象に、農園主や田口先生の解説も加わり、時間はあっと言う間に過ぎて行きます。3時も過ぎたころ、もうひとつの訪問予定であるベルリナ農園をもつルイスさんの経営するカフェに伺い、立派なご自宅のほうで90歳になるというお父さんも加わり、しばし歓談。そのあとベルリナ農園の精製工場と乾燥場所の見学に向かいました。ここまで精製工場もいくつか見学してきましたが、それぞれに特徴があって興味は一層深まっていきます。

 

  この日の夜はセラシンさんご一家とディナーを楽しみました。通訳を通しての会話でなく少しでもスペイン語でコミュニケーションできたらなあ、と思ってもあとの祭り。

 

1月22日(8日目)

  午前中は昨日に引き続きルイスさんの案内でベルリナ農園の見学。山の斜面一面にコーヒーが植えられています。

 

 

  急斜面の山道を4輪駆動に揺られながら下りていきながら、こんな斜面にコーヒーの木を植え、収穫するという作業は並大抵の苦労ではないだろうなと思っていました。ルイスさんは40年にわたってコーヒー栽培に携わり、実験的なことを試みながら総合的な観点からコーヒーの発展に尽くされています。20年先のことを考えて今仕事をされているという彼女の言葉に、これからコーヒーという事業のほんの一端ではあるけれど携わっていくことになる自分の仕事の意義と価値を再確認させられる思いでした。

 

  ルイスさんのカフェでカッピングの後、フランシスコ・セラシンさんに飛行場まで送ってもらい、13時すぎの飛行機でダビドを後にしました。

  パナマ・ボケテの珈琲豆は、これまでの焙煎練習で何度も焙煎した豆で、好みの豆のひとつでしたが、今回、はじめて現地を訪れたことで一層の愛着のようなものを感じ、今後の焙煎においても目に見えない力を得たような気がします。

 

  一行は再びパナマシティに戻り、パナマ市内を少し見学の後、荷物を預けていたホテルに戻ってきました。

 

  中米コーヒー産地を巡る旅 その2  パナマ編 おわり ⇒ To Be Continued